稚内と樺太をより深く知るツアーに参加してみた!

ようやく暖かくなってまいりました。
こんにちは。最近の稚内は、半袖でも外を歩く事ができるくらいに、ようやく暖かくなってきましたね。
モシリパの目の前にある公園では雑草が背丈を伸ばし始めていて、それをエゾシカたちが群れながら食べに毎日来ています。いつまでも見ていたくなるほどに可愛らしいですね。
そんな温かくなった稚内では、北防波堤ドームや稚内公園などの様々な散策スポットや名所があります。私もお休みの時には稚内公園でお散歩をしたりしています。そしてこの度、私たちは道北観光ガイドサービスの「サウダージ」さん協力の元、ここ稚内市の近郊にある観光名所や歴史、さらには海を越えた先にある樺太(サハリン)について、実際にその場を一緒に歩きながらツアー体験をしました。今回はそのことについて書いていこうかと思います!
案内人は、「サウダージ」代表の倉悠介さんと、ガイドスタッフの西浦宏之さん。地元の方にしか知らないような細かいことまで、一つひとつ丁寧に教えてくれました。それでは参ります!
稚内駅と稚内港について
午前11時、最北の駅として有名な、JR稚内駅の駅前にて「サウダージ」さん達と集合しました。

軽い自己紹介をしていただいた後、小型の無線機とイヤホンを参加者一人ずつに配られました。ここ稚内は日本屈指の強風地帯。イヤホンをつけることにより、風の吹く屋外でもお話がしっかり聞きとることができました。
ここは日本最北の駅。駅の構内を見ると、終点であるはずの路線がホームから駅構内を突き抜けて、屋外にまで伸びています。そこから少し進んだところにある広場には、線路の輪止めがあります。しかし、以前はここからもっと先まで線路が伸びていたようです。その鉄路の後が、こうして今でもしっかりと残っています。
更には駅の構内に鎮座する鐘についてもご紹介していただきました。日本とロシア、両国のぽっぽや(鉄道員)達の熱い友情と絆を表すその銅像と鐘の経緯を知ることができました。

サハリンを望みながら
続いて、場所は変わって稚内公園へ。
送迎用の車に乗車し、8分ほど移動をして稚内公園に到着しました。車内では稚内公園の過去について教えてもらいました。なんと、ここにはスキー場が20年ほど前まであったそうです。今では優雅な草原が一面広がる綺麗な公園ですが、当時はリフトも稼働していてひときわ賑わっていたそうです。その時代の光景も見てみたかった…。

稚内公園はただ見晴らしのいい公園というだけではなく、稚内市開基100周年を記念として建てられた「稚内開基百年記念塔」や、様々な慰霊碑などがあります。今回は百年記念塔の中にある「北方記念館」と、数々の慰霊碑を、西浦さんにガイドしてもらいながら見て回りました。

北方博物館には、ここ稚内市の成り立ちや、樺太へと渡航して樺太が島であることを調査・証明した「間宮海峡」でも馴染みの間宮林蔵のお話、そして戦前から終戦直後までの樺太の資料などが数多く展示されています。中でもひときわ注目したのは、終戦直後で巻き起こった樺太と稚内のお話。
樺太がまだ北緯50度線を境に、日本とロシア両国で二分化されていた1945年。8月15日に日本は太平洋戦争に敗戦し、武装解除を余儀なくされます。しかし、そんな中でロシア軍は国境を越えて日本領へと侵攻、樺太内の日本領の都市は北側から次々と制圧されてしまいました。その戦火のさなかで、懸命に抗う少女たちがいました。

20代半ばから17歳までの、まだ未来のある少女たちに起こった悲劇を、ガイドの西浦さんは当時の状況がどんなものだったのかわかりやすく教えてくれて、同時に胸が裂かれそうな思いを抱きました。戦争による悲惨さ、無情さを痛感させられます。
更には、西浦さんによるこの事件のその後のお話や、別の街で起こった事件など、資料には載っていない細かなエピソードも教えてくれました。これはガイドさんがいなければ当然知らなかった事です。樺太の歴史について、深く深く知りたい方はぜひ彼らのガイドを聴くべきだと思いました。

百年記念塔から少し離れた場所に、「氷雪の門」と呼ばれる慰霊碑があるので、そこにも行ってみることになりました。


「氷雪の門」とは、かつて日本領土であった樺太で悲劇に見舞われた方々を偲び、この樺太がよく見える北側の高台に建てられた慰霊碑です。海の向こう側で起きた戦火の歴史を、「彼女」は今も私たちにこうして伝え続けています。
そして公園から少し降りたところにも案内されました。

東屋のある歩道を歩いていると、ガイドの西浦さんは「ここです」といい、東屋の奥を指します。そこは不自然にコンクリートが土にかぶさっている場所。話によれば、なんとそこには以前に防空壕があったそうです。その昔には子供たちの遊び場としても残っていたこの防空壕でしたが、現在は安全面を考慮して土に埋められたそうです。こんな場所、説明されないと絶対にわからない・・・。戦争の歴史が、身近でいたるところに隠されていることがわかりました。

防波堤から分かる歴史
最後に案内してくれたのは、地元の方たちには「ドーム」でおなじみの「北防波堤ドーム」です。
戦前より建造されたこの防波堤は、古代ギリシャ建築を彷彿とさせるような美しくかつ正確な建造物。当時としても画期的な造だったようで、約90年も前からここ稚内港を宗谷海峡の荒波から守ってくれています。ここでもまた、ガイドの西浦さんが面白いお話をしてくれます。


この防波堤がどうして造られたのか、どのように造られたのか、事細かに教えてくれます。建造するにあたって基礎に必要な砕石を、泥炭が広がる道北のどこから持ってきたのか。戦後間際まで樺太と稚内港を往来していた船「稚泊連絡船」の当時の様子。昭和の大横綱「大鵬」が、樺太稚内と大きく関わっていた事。そして1995年から20年以上、稚内港と樺太を繋いでいた「稚内・コルサコフ定期航路」の事など。様々な歴史を教えてくれました。こうして、今回のガイドツアーは終了しました。

ガイドツアーを通して見える稚内
今回は、道北観光ガイドサービスの「サウダージ」さんのガイドツアーに参加させていただきました。私自身、こうした地理歴史は自分で調べて楽しむことを主としていました。今は博物館・資料館をはじめネットなどでも情報を得ることができる昨今ですが、ただ文字を読んで情報を得るよりも、ガイドさんから直接お話を聞いている方がより深く知り、より鮮明に記憶に残ってくれます。さらには、資料館などには載ってもいない細かなエピソードも豊富に語ってくれるので心底楽しかったです。
これからの季節、稚内も夏日になることが多くなると思います。暑すぎず寒すぎない、そんな稚内はお散歩するのに最高な場所です。稚内観光をしに来られるお客様も多くなることかと思います。そんな時、道北観光ガイドサービスの「サウダージ」さんと共に歩いてみてはいかがでしょうか!
また、「サウダージ」さんは今回の様な稚内の観光名所巡りのほかにも、様々なツアーを企画されています。稚内での漁業の歴史だったり、稚内港を行き来するフェリーのちょっとマニアックなお話だったり、パンフレットには載っていないようなことを「サウダージ」さんは沢山教えてくれます。企画しているツアーのすべてが貸し切りツアーなので、他人に合わせないでじっくり聞くことができるのもとっても良かったです。是非、おためしあれ!

【サウダージさん詳細】
稚内観光ガイドサウダージ公式サイトはコチラ→
サウダージ 稚内観光ガイド | 観光名所と歴史を巡る北海道・稚内の貸切ガイドツアー
連絡先はコチラ→ 070-9031-1609
○ツアー内容は多種多様!約1時間半のショートコースから約9時間のボリュームコースもあります。
○ツアーは基本的に貸し切りなので、ガイドさんと共にゆっくりじっくりと稚内を巡ることができます。
○ツアーは基本予約制ですが、ツアーの内容によっては最短でも当日に受け付けをすることが可能です。ご興味のある方は是非ご連絡してみてください!